心の反応に気づき、自分の人生を歩むには。

私は2000年にバプテスマを受けて18年間エホバの証人でした。

研究を始めたのは高校生の時で、一旦は研究を辞めていたものの、若い時代をずっとエホバの証人やその考え方と関係しながら過ごしてきました。

エホバの証人など新興宗教に関わり始めるきっかけはそれぞれあるかと思いますが、まず押さえるべきポイントは入信は自分で決めたという事です。

その事実を否定して親のせいにしていたら、親への怒りは収まらないでしょうし、スムーズに辞めることは難しくなるでしょう。

幼い時から親にエホバの証人2世として育てられたケースを考えてみたいと思います。

幼い頃からエホバの証人の親に育てられた子どもは、嫌々ながら集会に行っているか親に反抗して集会に行ってはいないかもしれません。自分が交わっていた会衆では、集会に出席している2世の子は何らかの病気を患っている人が多かった印象があります。

たとえそのような状況であっても、それはあなたが望んでそのような状況にしているのです。

私のことを書かせてください。

私が初めて聖書研究を司会してもらったのは、高校生の時で同級生の友人からでした。

きっかけは彼が自分の立場を先生やクラスメートに証言していたので、彼がエホバの証人であると知っていたことと、当時母が聖書研究を始めていて、聖書の中の用語について私の質問に答えず、同級生の彼に質問してみるように促されたのでした。

後に気がついたのですが、母自身が答えなかったのは、私に同級生の彼を関わらせようとする思惑があったのでしょう。

案の定、私は彼から聖書研究を司会してもらうことになりました。

週に一度、学校の図書館で聖書研究をしたのですが、他の友達と遊んだり趣味に時間を使ったりせず、他の友人の好奇の目なさらされながらなぜ興味もない聖書研究を始めたのでしょうか。

それは私が聖書研究を望んで決めたからに他なりませんが、聖書の用語に興味を惹かれたものがあったものの、時間を割いて聖書を研究するつもりなどなかったにも関わらず私は望んで聖書研究を始めたのです。

では、なぜ私は聖書研究を始めたのか。それは、私が母の喜ぶことをしたかったからに他なりません。母と同じことをしたかったということも事実でしょう。

私が望んでいたのは聖書研究そのものではなく、研究をすることによって得られる母の是認だったのです。

人にはそれぞれ思考や行動のパターンがあります。それは幼い頃に形成されたものであったり、家伝的なものであったりします。

心とは状況に反応した結果生じるものであり、心の反応は行動に表れたり痛みや痒みなど症状に表れたりもします。

心の反応パターンを見つけ出し原因を探ることができるのが内海式精神セッションですが、このセッションにより私が母を喜ばせようと聖書研究を始めたのかなど、そもそもの原因を探して問題を解決へと導くことができます。

私がエホバの証人をやめるために内海式精神セッションを受けてはいませんが、後に内海式精神セッションを受けて心の反応パターンを知り、エホバの証人を辞める前後に生じた大問題の根本的な理由が分かり問題を解決することができました。

エホバの証人をやめたいあなたにお伝えしたい事は、人には心の反応パターンがあって、あなたはそれに従って行動している、つまりエホバの証人になったということです。

ですから、心の反応パターンに気づいて欲しいと思います。

私の場合で言うと、自分が聖書研究をしているのは研究が目的なのではなく、母を喜ばせたかったんだなと気がつくことです。

現状はすぐに変わらないと思いますし、大好きなお母さんを否定する気になれないかもしれませんが、まずは心の反応パターンに気がつくことが必要です。

私は心の反応に気が付かず、母をよろこばすためにエホバの証人でいましたが、これは深層心理がそうしたのでした。

本音は自分が楽園で永遠に生きたいであっただろし、建前は家族と楽園で過ごすためであると綺麗事を言っていたんじゃないかな。

つまり、本音は自分に正直になれば認識できるのですが、深層心理は自分では認識できない領域なのです。

幼い子どもは親に認められる、つまり親を喜ばせることを何としてもしようとします。そうしないと命を保てないからです。

そうした子どもの気持ちを汲み取らず、子どもが自分を喜ばすことをずっと求める親は毒になる親、つまり毒親と呼ばれています。

あなたが苦しい思いをしているならあなたの親は毒親である可能性が高いと思われますが、ご自分の親をすぐに毒親認定するのではなく、まずは心の反応パターンを知った上で親を観察してください。

そうした態度を反抗期と言われるかもしれませんが、反抗期は親の保護がなければ生きられない無力な幼児からの成長の過程なのです。

自分の事を振り返ってみると、反抗期はなくずっと母を喜ばせることに一所懸命だったと思いますが、一所懸命にエホバの証人であったと言い換えることができます。

私はずっと母を喜ばせることを第一義とする心の反応パターンに気がつかず、自分を喜ばすような生き方ができずにいました。

あなたは自分の心の反応パターンを知り、自分を喜ばせる決定をして、自分の人生を歩むようになさってください。

終わりに

子どもはお母さんと触れ合う時、お母さんの笑顔に注目しています。ですから親がマスクをしている今のマスク社会では、子どもたちの情緒的な発達に悪い影響があるのではないかと心配しています。

かつて、修道院で子どもたちを世話する大人がずっと無表情で気にかけてもらえないならどうなるのかという実験がありました。実験結果は恐ろしいことに、全ての子どもが成長する前に亡くなるという悲惨な結果となりました。

悲惨な実験で、行うこと自体が問題だと思いますが、保護者からの関心は子どもにとってそれほど重要だということがよく分かります。子どもは親の気遣いと是認を必要としていて、幼い頃からそれを十分に得られていないと、いつまで経ってもそれを得ようと必死になるのです。

そのまま大人になってしまった人は親の思い通りに行動する人間になるのですが、そうならないために心の反応に気付いて親から独立しましょう。

未成年のうちは親からの完全な独立は難しく、ある程度親の言う事を聞く必要があると思いますが、親を喜ばせたい、認められたい。そうした心の反応パターンを知って行動の第一義にしないなら、親から精神的に独立は可能でしょう。