たとえば牢屋に閉じ込められてやりたいことがやれない状態を想像してみると、絶望的な気持ちになるだろうなと予想できますよね。
しかし、そんな状態よりもっと悲しいのは「やりたいことがない」状態なのかなと思うのです。
やりたいことがあれば
再犯はだめですが、その人は牢屋を出たらやりたいことを思いっきりやるんでしょうね。
やりたいことがあるということは、その人にとって明るい希望になります。
やりたい気持ちが大きければ大きいほど牢屋で過ごす日々も前向きにとらえることができそうです。
まして牢屋に入っていないならその人の希望は人生をよい方向に加速させるエネルギーになります。
しかし、やりたいことがないのならどうでしょうか、牢屋に入っているのならそこで漫然と過ごしていればいいのですが、そうでないならさみしい人生を送ることになりそうです。
やりたいことがない理由
私はいぜん自分のやるべきことは家業を継ぎ家を存続させることだと信じて生きてきました。
自分で望んで選択した道なので後悔はしていませんが、ずいぶん遠回りをしてしまったという思いはあります。
遠回りを終えることができたのは、今は詳しく書くことは控えますがが家庭の中の状況の変化と、自分の体調がしんどくなったことでした。そして気が付いたのは、自分はやりたいことをやっていないということでした。
どうしてやりたいことをやっていなかったのかというと、家業を継ぐということと家計を存続させなければならないという思い込みがあったからだったのです。
思い込みを見直す
信念を疑うのは難しいことですが、体調が悪化すると考え方を変える良いきっかけになるようです。
体調を改善するために病院に行って症状だけを抑えようとすると、考えるきっかけを損じてしまう上に症状だけ抑えて病気は長引いてしまうので要注意です。私が慢性病で病院に行かない話はまたいずれしたいと思います。
人は自分の持っている「~しなければならない」とか、「~すべきである」という信念、スキーマを手放さないと思い込みを見直すのは難しいことなのです。
自分にとって厳しいスキーマを手放さないと、感情を抑え込むことになり、感情を抑え込むとやりたいことがなくなってしまうのです。
感情を開放しよう
「~すべきである」を手放して感情を開放するとやりたいことが出てきます。私はそれでようやく体調がよくなってきました。
やりたいことがない理由は感情を抑圧するためなのです。
やりたいことも明確になってきたのでこれからの人生が楽しみになってきました。